好きな人について

 いきなり何を言い始めるんだという題である。普段からものの言い方がきつく、どうにも人好きには見えないとは思うが、私は人が好きだと自分では思っている。人が好きであり、それから人を好きでいたい。

祖母のことなど

 母方の祖母の脳の血管が切れて、病院に搬送されたのは私が小学1年生を終えようという3月のことだった。近所に住んでいた祖母は毎日のように会う人であったから、それから生活のすべてが変わった。やはり脳の血管が切れると性格が変わるらしい。優しかった(少なくとも幼い私にはそのように接していた)はなんと怒りっぽくなったことか。些細なことが気に入らずに叫びまくる祖母の姿など、見たくなかった。

 小学校も高学年になると、祖母の介護をする母親の愚痴を一人前に聞かされた。愚痴が描く像は私の知っていた祖母ではなかった。叔父についての愚痴も聞かされた。これも同様、私にやさしくしてくれた叔父の話とは思いたくなかった。

 母もストレスが溜まっていたのはよく分かる。でも私が「そんな話は聞きたくない」と言っても、だって本当なんだもの、とやめてくれなかったことだけが悲しい。私が祖母や叔父をいい人だ、大好きだと思っていた事実は、嘘になってしまうのか?

 

中高の頃

 この疑問を抱えながら過ごした中高時代、いい人だと思っている友人や先輩、先生の悪口をほかの人の口から聞くのは耐えられなかった。誰しも好きな芸能人のスキャンダルは嬉しくないだろう、それと似たようなものだ。まるで悪口を言われているその人と話したいい思い出自体が泡になって消えてしまうようで。

 私は人を好きでいたかった。だから耳を、目を閉じることにした。なんであれ私に優しくしてくれたことは事実だと決めた。それでは相手のことを何もわかっていないと思われても仕方ないが、好きな人の悪い面を直視できなかった。

 決まりを後押ししたのはゆずの歌詞であった。岩沢厚治さんが作詞作曲した「大バカ者」は有名な夏色のシングルのカップリング曲である。

  きっと本当の声も 素直な心も 優しさも 人はみんな持ってるんだ 今はただ気づかないだけ (ゆず 大バカ者)

優しい人を疑う私には人の「善さ」を信じ切る岩沢さんの歌が刺さった。

 そこまで腹を決めたけれど、祖母と叔父、それから母にはこの決まりを適用できなかった。寝付けない時に頭の中で語りが始まる。もう10年近くも前のことを思い出して、自分がかわいそうで泣く。今も。

 

このごろ

 大学に入るとお酒という新しい、刺激的なアイテムが日々の生活に加わる。私はまだ未成年で一滴も飲んだことはないが、そんな大学生の日々にもお酒は無関係ではない。正直に言ってお酒はあまり好きではない。味の話ではなくて、その存在が、だ。

 18、19にもなると人間ある程度、理性を以て己をセルフプロデュースしているだろう。それをいとも容易く剥がしてしまうのがお酒だ。これまで他人伝いで知らされた人の醜態などを、お酒によって本人から受容することになる。私は人を好きでいたい。少し酔った人と接したり後から二次会の様子を写真で見たりするくらいで嫌悪感は抱かない。だがいずれ本格的に酔った人を前にして、皮の剥がれた人を見て、自分は何を思うのか不安が付きまとう。

 どうあれ、私は基本的にみんないい人で優しくて好きだなと思っているし、今後も好きでいたい。