中高の友人がインスタグラムのストーリーにあげていた記事を読んだ。いわゆるジェンダーに関して興味を持っている友人で、その記事も属している団体でライターとして書いた記事である(以下のリンク参照)。
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記事では、タイトル通り女子力という言葉に対して彼女の感じたモヤモヤがよく記されている。この令和の時代にあって、女子力という言葉が性別による役割分担を助長すると。
今日はこれに共鳴して、なかなか人に伝わらない私のジェンダー観を軽く記しておく。男女の役割的なイメージはあって良いと私は考えている。詳しく話していこう。
何かを決断した際に「ここでやらなきゃ男が廃ると思った」と言うことが間々ある。私は生物学上女だし、自認している性も女である。これがまさに私の考えているジェンダーの在り方だ。
よくあるように、
男→勇敢、力持ち、決断力がある、筋肉がある
女→家事ができる、美容に気を遣う、かわいらしい
といったようなイメージがあるとする。この男女の概念が、一人の人間に内在する。その人のジェンダーに関わらず。
誰もが自分の性を何と自認していようと、好きな時に好きに表現すればいい。自分を男性だと認識し普段から「男」らしく振る舞ってきた生物学的には女性の人が、ある日美容に気を遣い始めてもいい。なぜなら「女性」とラベリングされる特徴はその人の中に内在し男ていたのだから。
ある日は誰かにかわいいと言ってもらいたいなあと思ってアイシャドウの塗り方を調べ可愛いイヤリングを探すが、もっと髪を短くして知らない人から「どっち」なのか迷われる見た目になりたい日もある。別に男装趣味とかいう問題でもない。
話は戻って女子力だが、これは概念の方の女子を指しているので別に構わない。モヤモヤすることも特にない。女子力が私において発揮されようと、男性において発揮されようと、それは個々に内在する女子の概念が表に出てきただけのことだ。