らぶ

5108(コトバ)というアクセサリーブランドがある。

言葉を身にまとうことをコンセプトにしているブランドだ。

私はこのブランドのネックレスを一つ持っている。下にリンクを貼ったものだ。

 

LOVE LOVE | ネックレス | B-020 | 【公式】5108/コトバ | 言葉を身...
https://5108web.com/items/5f5882c8b5b108670b60c518

 

見るとわかるが、LOVEの溢れるネックレスだ。

これをくれたのは一番仲のいい友人だ。別に私たちはそういう関係にはないけれど、これをくれる友人がいるという事実が途方もなく嬉しい。

 

今日はこれを久しぶりに身につけた。

研究室の同期と昨日話したことがきっかけだ。

 

近頃は周りの人の誕生日をあまり祝っていない。そのくせ、自分の時には誰か祝ってくれるんじゃないかと期待する。結局私たちは自分を特別視してくれるような人が欲しいのだ。と。

 

私たちはいつだって自分が特別なように思うし(これは人間の認知特性でナントカバイアスがかかっている)、そう扱ってくれる存在を希う。

 

…しかし私には、私を特別扱いしてくれる友人がいる!この事実に言い得ぬ嬉しさを覚えて今日は身につけたというわけだ。

 

私と友人は誕生日が近い。中学生の頃からプレゼントと手紙を渡してきた。

最近はモノを送り合うのではなく一緒に出かけていて、今年もお互いの誕生日の間にアクティビティを執り行う予定だ。アクティビティでも手紙は渡す。ちなみに近年の手紙はなかなか重ためで、心の支えになるので、財布にいつも入れている。

手紙の内容は傍目に見たら重たい女同士なのかもしれない。でも、お互いにそう想い合いながら普段は大してLINEをするわけでもない。友人グループで集まったらなんだかんだ彼女が私の隣にいるし、周りにも軽くペア認識されていると思う。このくらいの方が、本当に見えないもので結ばれている感じがして好きだ。

 

話が少しズレるが、最近のONE PIECEではサンジがゾロに対して「俺がおかしくなったら◯してくれ」と頼み、ゾロは「俺が◯すまで死ぬなよ」と答える(意訳)というシーンがあった。

こんなに傍目に重たくて、本人たちが信頼しあっている話があるか?といたく感動した。

他者の生死という究極に自分ごとではあり得ない問題に、自分が介入する。ゾロがしているのはそういうことだ。介入させているサンジもサンジだ。

※決して特定のCPに言及しているわけではなく、この2人の信頼についてと思ってください

 

「私の生死という、相手にとって究極に自分ごとではあり得ない問題について、相手が私に述べてくる」という事態は私にとっては大きな信頼と愛だ。

だから私は、この財布に入っている「私が死ぬまで元気でいてください」がとても好きだ。