スーパーマーケット

常識なんて、常識と言いながら千差万別だ。

 

まいばすけっとと言えば、東京と神奈川に展開するイオン系の小型スーパーマーケットのことだ。今調べたら、埼玉と千葉にもあるらしい。

私は神奈川県藤沢市出身だが、生憎まいばすけっとは横浜、川崎、大和にしか無い。だから高校3年生の時に横浜在住の同級生の口から聞くまで、私はまいばすけっとを知らなかった。

 

同じようなことが中学3年生の時にあった。公民の授業で、コンビニの定価販売に対してスーパーは大量に仕入れて安く売るという話をしていた時、先生がある生徒に「何かひとつスーパーを挙げて」と言った。生徒は「やまか」と答えたが、先生はやまかを知らなかった。その生徒は私が今も仲良くしている女の子なのだが、帰り道に「初めからオーケーと答えれば良かった」と悔しがっていた。

やまかとは、主に藤沢と鎌倉、そして茅ヶ崎、横浜、大和にも店舗を置くスーパーマーケットである。店の看板曰く「湘南を結ぶスーパーマーケット」である。私も彼女も藤沢に住んでいたからやまかを知っていたし、クラスであと3人くらいはやまかを理解していたと思う。

 

たかがスーパー、されどスーパー。住んでいる場所が少し違うだけで、私たちの常識は違う。人間同士、育ってきた風土が違えば分かり合えないことが沢山ある。生きてきた年代でも差が生まれる。

そう考えると、他者と分かり合うことの難しさにも納得がいく。スーパーの名前ひとつでも認知の差が生まれるというのに、本質的に分かりあうなど無理がある。それでも相手が自分の思うような反応をしないとイライラするし、相手が常識知らずのような気がしてくる。

 

スーパーの例なら「どちらかに過失や落ち度があるのではなく、住んでいるところが違うからスーパーの名前を知らないだけだ」と捉えることは容易だろう。

なんでこんなことをするんだろうか?全く信じられない!と腹が立った時ほど、「私とは違うスーパーマーケットで買い物をしていたのだな」と捉えられるようでありたい。

 

しかし買い物の手順というか、買うものはカゴに入れてレジに持って行き、会計ののちに自分のカバンにしまって良いといった共通の認識、買い物の作法もあって然るべきだ。

大切なのは、相手が予想外の行動や腹立たしい行動をした時に、その原因を買い物をするスーパーの違いと本質的な買い物の作法の逸脱に切り分けることだと思う。