祖父母

 長期休みになると地方出身の友達は帰省していく。実家暮らしの私には帰省する場所はない。

 昔からそうだった。実家と言わずとも、祖父母の家に帰省している人は沢山いた。祖父母の家は歩いて10分と20分の距離にあったから、普段から行くことが多くて帰省なんて概念はなかった。祖父母の家は住宅地の隣り合った通りにあって、元日は二つの家を一日で巡るのだった。

 帰省すると、またおばあちゃんからお小遣いを貰ったんだと言う友達の話を聞いてきた。一般的に祖父母の家なんて母方に偏りがちなものだ。私がまともにお小遣いを貰って誰かと遊ぶような年齢になる前に、母方の祖母は倒れてしまった。そんな経験はしたことがない。

 

 若い声優のTwitterを見ていると、実家に帰って祖母に会ったというような投稿があった。えっもう二十幾つなのに、おばあさまが元気なの?とびっくりした。人間、成人するころには祖父母なんて要介護状態で世話をする一方だろうという固定観念がどこかで形成されてしまったからだ。

 

 

私が自己憐憫のごとく言及する「祖父母」は母方だけであることに気付く人もいるだろう。実は父方の祖父母は至って元気な方なのである。祖母は油絵、祖父は写真を嗜む人だ。

 祖母は料理が非常に上手くて、夏は特に庭で育てた野菜も収穫して食べている。裁縫もうまい。敬虔なクリスチャンでクリスマスなどを非常に大事にする人だ。耳が遠く腰も悪いが、杖もなく普通に歩ける程度。

 祖父は県で賞を取るくらい写真がうまくて、80にもなって機材を背負って若い人と山を登って写真を撮りに行くのをようやく諦めたらしい。それも歩けないのではなく、ペースが遅くて申し訳ないのだそうだ。7kgある機材を持って江の島に写真を撮りに行ったが、転んで骨折したとか、膝の調子が悪くて整形外科に行ったら80とは思えない状態を保っていると褒められて帰ってきたとか、高齢者の定番トピックである医者の話にしても、人より遥かに「健康」である。

 

 しかし、この健康さゆえに私にはどうも自分の祖父母である実感がわかない。両極端過ぎて理解が追い付かず、話すと自己憐憫的な母方の祖父母の話になってしまう。

 

 普通に帰省して、普通にだらだらして少しお小遣いを貰える普通の祖父母の家ってどこにあるんだろう。そもそもそれって本当に普通なのかな。